石岡市 まちかど情報センター  「ひびきろ」

まちかど情報センターは,茨城県石岡市の中心市街地活性化の第1弾として,空き店舗を利用した施設です。
さまざまな事業を通して人と人とが交流し、心の通い合うまちづくりをめざします。
このブログはスタッフが書く日々の記録(ひびきろ)です。
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まちかど情報センター



     <ご案内>

住所:
石岡市国府三丁目1-16

開館時間:
午前10時〜午後8時まで

休館日:
木曜日(祝祭日の場合は除きます)
年末年始12月28日〜翌年1月4日

市民サロンにて,軽食程度は可能。
ゴミは持ち帰っていただきます。
館内はタバコ・アルコール厳禁!

お問い合わせ:
TEL 0299-27-5171
FAX 0299-27-5172

machikado3116@saturn.plala.or.jp  


   <施設の内容>

■市民サロンで情報交換

●広域観光情報・情報掲示板
●市民団体のメールボックス
●イベント情報 
●防災情報
●情報誌「まちかどくん」
●仲間とのおしゃべりタイム
★飲み物の販売(お茶・コーヒーなど)



■10〜20人の
  市民の会議室


●団体や商店会・町内会の会議のほかいろいろな講座や講演会に利用できます。
●OHP・パソコンプレゼンテーション機器が用意してあるます。
★使用は無料です。
★予約が必要となります。
 →会議室の詳細はこちら



■インターネット体験

●まちかど情報センターには4台のパソコンが配備され,使用することができます。
もちろんインターネットにもアクセスできます。
★利用時間は
  
一人30分1日2回まで
★使用は無料です
  ※プリンタ出力した場合は
   別途料金がかかります。



■大型ハイビジョンシアター

●市内イベント・講演会中継
●石岡市議会中継



■市役所機能の窓口

●自動交付機で印鑑証明
   ・住民票の交付



■コピー&プリント料金


2015年4月1日より
★コピー
 1枚10円

★プリンタ出力

 プリンター(白黒)/1枚10円
 
★印刷機  製版/1枚100円
     印刷代 1枚につき2円
【用紙は持ち込みになります 用紙をお持ちでない方は用紙代として別途1枚1円、A3,B4は1枚2円】

 


■地図→ ここをクリック





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■石岡お店めぐりマップ→ここをクリック



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中世城郭の歩き方
 其ノ三 「府中城めぐり」〜石岡ルネっ散歩〜

ishii
)府中城のような中世城郭は八百年から四百年前頃に築城され、城郭は市街地に近いところでは住宅地や畑地になっており、山地ではただの山のように見えます。基本的な知識を持って探訪すると、畑地や住宅地やただの山が史跡の山となります

(2)中世城郭は、三方が湿地や崖で囲まれたような自然地形を巧みに利用し、山頂部を平にして曲輪(くるわ、丸)を築き、周辺を土塁、堀、崖などで囲って敵に備えた郭であるといえます。中世の「城」は、まさに漢字の成り立ちの如く、土から成るもので、近世城郭に特有な天守閣や石垣は存在せず、いわば砦で、素朴な城です

sinsui (3)府中城も恋瀬川と山王川に囲まれた洪積台地を巧みに利用し築城されています。図に府現在の石岡市の中心市街地をほぼ覆っている事がわかり都城形態をもつ名城で、陸奥の多賀城、筑前の怡土城と並ぶ日本三名古城といわれており、国府そのものが城であった。今回はその外堀を周回し府中城の大きさを実感してみます。堀跡は小道や畑地として残り、場所によっては周りより若干低くなっている様子も見れます。鬼門には神社が祀られ、寺のほとんどは城郭内に存在しています。石小敷地内の土塁跡が府中城の堅固さ示し、周りを巡ってみると堀跡や崖などを散見することができ、往時を偲ぶことが出来ます。

(4)中世城郭としての府中城は大掾氏と運命をともにしたと言えます。平安時代に平将門を討伐し、常陸国の大掾職(現地最高責任者)を世襲するようになった常陸平氏は大掾氏と呼ばれ、水戸城を本城とし石岡城を居城とし中世常陸に君臨し、一三五〇年ころ、国衙の地に府中城を築いた。室町時代には、大掾氏は戦功を挙げ勢力を拡大したが、後期には水戸城を没収され、府中城一帯を保持するだけの小勢力となり、衰退していく。そして戦国時代に三村城を築き備えるが、豊臣政権下の一大名である佐竹氏に滅ぼされ、大掾氏の歴史は終焉を迎え、中世城郭としての府中城も炎上し滅びました。

(5)府中城には逸話が残されており、興味がかきたてられます。一五九〇年に若き最後の城主(清幹、一八歳)が炎上する城を見ながら「嗚呼残念」と嘆いた宮部の坂はどこか。敵方の園部から嫁いだ若い姫が堀に身を投げて自害したと伝わる池も城内にありますが、どこか。また城には七つの抜け穴があると言われており、石小付近、青木町、香丸町、泉町、金刀比羅神社付近、守木町、貝地などで坑道や穴が見つかったり陥没したりした。清幹も脱出に使用したのかもしれません。これらを想像しながら巡るのも一興。(長谷川功)


ルネっ散歩のコース


rune1情報センターをスタートして、隅宮福徳稲荷、従一位青木稲荷、若宮八幡宮、照光寺、府中石井、箱の内出丸、宮部出丸、宮部不動院、府中城本丸、二の丸、三の丸、堀跡、神水滝、総社宮、平福寺など(写真,蓮府中石井、△録誠綢譟↓は最後に寄り道した酒屋にて試飲中)ルネっ散歩の様子はHPの動画でもみることができます。


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中世城郭の歩き方
其ノ二 中世石岡の歴史と城郭―大掾氏 
 
今回は石岡及び周辺の中世城郭に関連する歴史を独断的に紹介しよう。  石岡市の中世城郭は常陸大掾氏の繁栄と滅亡を抜きには語れない。大掾氏は大掾職を世襲し高い格式の家柄として中世石岡に君臨し、戦国時代に滅亡する。従って石岡には大掾氏の城郭が多く残り、周辺には対立していた小田氏、佐竹氏の城郭も多い。
 

joukaku
大掾職を世襲する大掾氏と城郭   大掾というのは国府の官名(現地責任者)で、世襲した平氏は大掾氏と称された。平安時代、桓武天皇の玄孫である平国香が都から常陸の国の大掾となって着任し、そのまま現地に土着し、その子貞盛(伊勢平氏、平家の祖)が平将門を討ち取る(935年)。この功で貞盛は常陸全土を掌握し、甥の維幹が常陸大掾となる。はじめに館を構えたのがつくば市の水守城で、後に多気城に移り、大掾職を世襲し多気大掾と呼ばれた。この一族からは吉田氏ほか多くの氏が分家し常陸の国の巨大な勢力となる。


大掾氏と対立する小田氏
鎌倉期  鎌倉時代初期(1200年頃)、多気大掾氏は小田城の小田氏(八田氏)の陰謀で失脚し、つくば地方を追われるが、水戸城を拠点にした分家の吉田(馬場)資幹は、大掾職を死守し、石岡の地名の由来となる石岡城(石岡市田島)を築き居城とした。大掾氏は高い格式の家柄として常陸国内で一目を置かれた。しかし、小田氏が台頭し両者滅亡まで抗争が続くことになる。

没落への序章南北朝と足利時代
 鎌倉幕府が滅亡(1333年)し、南北朝の動乱が起こると常陸も混乱に巻き込まれる。大掾氏は当初南朝方に与するが、後に南朝方の小田氏との確執から北朝方に鞍替えする。この頃北朝優位に推移し、大掾詮国は国衙の地に府中城を築き石岡での拠点を強固にした(1350年頃)。 足利尊氏の関東支配体制が確立する(1349)と、大掾氏は尊氏に従い、戦功を挙げ勢力を拡大した。しかし、1426年には、水戸で勢力を拡大してきた江戸氏に水戸城を奪われ、1429年には、大掾満幹父子が鎌倉で殺され勢力減退が顕著になる。

大掾氏の滅亡戦国時代の城郭
 本格的な戦国時代(1467〜)に突入すると、大掾氏は江戸氏と抗争を繰り広げ、一方南の小田氏との間でも戦いが起こる。この頃、関東は上杉と北条の抗争の場となっており、佐竹氏は上杉方として常陸で勢力を拡大させ、大掾氏も上杉氏側に立って行動し、1558年には大掾常春が三村城を築き戦乱に備えた。佐竹氏は柿岡城、片野城、真壁城を拠点に北条氏側の小田氏と戦い(1569年 手這坂の合戦)、勝利しこの地の支配権を獲た。 1588年、佐竹氏が江戸氏を支援するようになると大掾氏は孤立し、竹原城(小美玉市)などでの戦いにも敗れ、領土のほとんどを奪われる。そして小田原の役(1590)での対応が常陸の勢力地図に決定的な影響を与えた。常陸は佐竹氏の領地と認められ、佐竹氏はこれを盾に、参陣しなかった江戸氏、大掾氏を攻撃し、両氏を滅ぼしてしまう。府中城を落とされた大掾清幹は自刃し、平氏の名門大掾氏は滅亡する。次いで、大掾氏の流れを組む行方氏などの八家も滅ぼされ、大掾一族は常陸の歴史の表舞台から消える。  (長谷川 功)


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中世城郭の歩き方 
其ノ一 基本知識と楽しみ方

                                     長谷川 功


jiukaku中世(鎌倉・室町・戦国)城郭は400年以上も前に築城され、現在は樹木が茂り、地盤も崩壊し、城郭はただの山のように見えます。基本的な知識を持って探訪すると、ただの山が史跡の山となります。
 中世城郭は、自然地形を巧みに利用した山城(図)が主で、山頂部を平にして曲輪(くるわ、白い部分)を築き、周辺を土塁、堀(竪堀、横堀)、崖、帯曲輪(帯状の平坦地)などで囲った城郭であるといえます。中世の「城」は、まさに漢字の成り立ちの如く、土から成るもので、近世城郭に特有な天守閣や石垣は存在せず、素朴な城です。
 中世城郭は、石岡市には40ケ所以上あり、身近な存在です。成り立ち、城主や合戦などを調べると歴史に親近感が沸き、秘話、怨念や伝承に思いをはせると、なお探訪が楽しくなり、探訪の度に新しい発見もあります。これが中世城郭探訪の魅力です。

 

----------------------著者プロフィール ----------------------

NPO石岡総合スポーツクラブ理事長
http://www.ishioka-sportsclub.com/
 産業技術研究所客員研究員理学博士
 茨城県生涯スポーツ指導員
 石岡市南台在住

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